1号線系統車両紹介・抵抗制御車編

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首都圏電鉄と呼ばれる区間には、大きく分けて以下の路線(運転系統)が存在しています。

本来の路線戸籍と実際の電車運転系統が異なっている点は日本と同様です。

1号線系統で活躍する車両は、韓国鉄道の電車でも最もバラエティに富んでいます。

日本の鉄道趣味者にも馴染みやすい、そして非常に奥が深い通勤電車群を紹介します。

まずは最も歴史が長く、もっとも形態分類に富んだ抵抗制御車編です。

なお、これらの形式は全容解明があまり行われることもなく廃車が進行しており、すでに調査不能となっている事項も多く存在しています。体系的な研究もあまり進んでいないのが現状で、本記事でも未確認事項・曖昧な事項が含まれることをご承知置きください。

韓国鉄道公社1000系

概要

1974年の地下鉄1号線開業および京仁線電鉄化時に、同一設計の地下鉄1000系と共に投入された形式です。当初は6両編成でしたが、後年4両を増結し、現在はすべて10両編成化されています。

車体は103系や301系を基本とした4扉鋼製で、車体幅が3120mmあるため幅広な印象を受けます。

交直流車のためメカ面では415系などをベースにした構成(床下機器を見るとモハ414+モハ103-1000のユニットのような感じ)となっていますが、M車に空気圧縮機、M'車に補助電源装置(登場時:MG、現在:SIV)が一緒に搭載されているのが日本型抵抗制御交直流電車との相違点です。

パンタグラフは下枠交差式がM'車に1両1器搭載となりますが、以来韓国の通勤電車では最新型に至るまで一貫して下枠交差型が採用され続けており、菱形やシングルアームタイプのパンタグラフを通勤電車で見ることはできません。

その後、地下鉄所属車は大きな外観変更も無く増備されていきました(一部例外あり)が、こちらは途中数度のマイナーチェンジが行われ、外観が大きく変化しているのが特徴です。増備は長く続き、実に1993年まで投入が続けられました。

現在の編成は状態の良い車両を集めての組成が繰り返され、改番が行われる場合もあるため、車両の動向を詳細に把握するのは非常に困難となっています。また初期型と後期型の混結も行われ、さながらJR西日本の103系のように凹凸な編成外観になっているのも国電ファンには興味深いところです。

塗色は2回変更されました。登場当初は日本の横須賀色に似た青とクリームの塗り分けで、韓国国鉄の普通客車に合わせた色合いでしたが、その後1994年には黄色・緑色・白色を使った第2世代色に順次変更されました。さらに近年になって、濃淡グレーにKORAILコーポレートカラーの青と1号線ラインカラーの赤をあしらった最新塗色への変更が進められています。初代塗色は鉄道博物館に保存されている車輌で現在も見ることができる(色合いが多少異なる)ほか、第2世代色の編成は現在もわずかに残っています。

初抵抗

最初に投入された、いわゆる「301系顔」のグループを初抵抗(初期抵抗)と呼んでいます。1985年まで41本が製作されました。

13本目までは川崎重工・近畿車輛・東急車輌・日本車輌で製造・輸出されましたが、14本目から韓国国内(大宇重工業)での製造となりました。

雨樋やサッシ窓など103系に近い印象を残すグループですが、経年廃車が進行し(韓国では25年経過で廃車が義務付けられている)、数を減らしています。すでに先頭車は全滅し、10連化増結時に製造された中間車の一部のみが以後製造の車両に混結されて残っている程度となっています。

当初は非冷房でしたが、1988年から冷房化が行われました。

側面方向幕は設置されず、前面幕も最後まで手動式のまま残っていたと見られています。

中抵抗

1985年から投入が開始されたグループで、各所がマイナーチェンジされました。

大きく変化したのは車体および前面で、大型窓を採用した新デザインとなり、運転台が中央部に移設されました。側面も張り上げ屋根・内折れ式側面窓の採用、ドア窓の大型化(営団5000系タイプから103系タイプに)などが行われました。

機器面でも運行記録装置・冷房装置の搭載、補助電源のMG→SIV化などが行われています。

42本目から73本目までが該当しますが、途中の64本目からはドア窓が再び小型化されました。一部ではこのグループを「後抵抗」と呼ぶ場合があるようですが、次に紹介する「新抵抗」のことが「後期抵抗」と呼ばれることもあり、混同に注意が必要です。また詳細未確認ですが、一部車両ではドアの交換によりドア窓の形状(大窓・小窓)が変化している場合があります。新型車(5000系)と同一のドア(窓ガラス金属押さえ方式)に交換された車両も見られます。

このグループから先頭改造された1087号車は、前照灯と後部標識灯が左右逆になっている(前照灯が外側)のが他車と異なる大きな特徴です。

本グループ途中あたりから、M車(パンタ無しモハ)の冷房装置が3器から4器に増加している車輌が見られますが、新製時からなのか改造なのかなどは今のところ不明です。

新抵抗

後述する5000系が登場する直前、1994年から投入が開始された最終グループで、74本目から86本目が該当します(途中、一部に中抵抗の先頭化改造車を含む編成もあり)。

前面デザインが変更され、4号線系統で活躍する2000系と同一デザインになりました。また前述の先頭改造車もこの形状の前面を採用していました。

新抵抗車は全車が第2世代塗色で登場しており、スカートが緑色となっています(最新塗色化時に灰色化)。対して先頭改造車は第2世代色時代でもスカートが灰色となっており、この点で見分けることができました。

改造など

現在までに、すべての車輌で補助電源のSIV化および空気圧縮機のスクリュー方式化が実施されました。

中抵抗以降の車輌では側面幕未設置車への増設や幕の電動化(日本製機器を採用)が行われたほか、初期車を含めてルーバーの腰部への移設が行われているようです。現在残っている車両は方向幕は消滅し、LED化されています。

室内では難燃化改造および更新が行われ、座席の難燃モケット化やLED式案内装置の設置などが為されました。一部初期車ではラインデリアの試験採用も行われています。

交直流機器も初期車は空気遮断機を採用していたはずですが、現在残っている車両はすべて真空遮断機になっているほか、それ以外の高圧機器や避雷器なども新しい世代のものに更新・高圧機器保護板の増設などが行われているようです。

日本の鉄道各社や韓国内の他形式と同様、連結面への転落防止幌の取り付けが近年になって行われています。

写真紹介


▲前章でも紹介した、初抵抗の先頭車。現在は静態保存車が残るのみです。


▲初抵抗中間車(M'車)。パンタグラフ、交直変換機器、補助電源装置を搭載しています。腰部のルーバーは後天的改造で移設されたものと思われます。また韓国の通勤電車はほぼ例外なく一貫して下枠交差式パンタグラフとなっています。


▲こちらはM車。ズラリと並んだ自然通風式抵抗器は103系1000番代譲りです。主制御器のほか空気圧縮機も搭載しています。


▲一部中間車はこのように先頭化改造されました。後述の後期型車両と比べると雨樋と窓で識別できましたが、現在は全廃されています。


▲中抵抗車。前面・側面ともに大幅リニューアルされました。ドア窓も103系のような大型・Hゴムタイプになっています。2両目のM車の冷房装置が4機搭載となっているのが見えます。


▲こちらも中抵抗車ですが、写真の編成はドアが5000系後期車と同一品に交換されています。


▲ドア窓が再び小型となった中抵抗末期グループ。1x67Fは旧塗装で残る数少ない編成です。


▲新塗色となり中抵抗編成に組み込まれて現在も活躍する1341号車。初期型の動力車は残り僅かとなりました。


▲途中増備された中間車のうち、中抵抗と同時期に登場した過渡期車両(写真右)は、車体構造変更のため窓サイズなどに違いが見られます。


▲こちらも初抵抗末期グループ車両。窓サイズなど各所が異なります。現在は中抵抗編成に組み込まれて活躍します。


▲T車(サハ)だけ初抵抗車を混結している中抵抗編成です。


▲103系の体質改善車と一般車の混結を思い起こさせます。

ソウルメトロ1000系(抵抗車)

概要

1974年の地下鉄1号線開業および京仁線電鉄化時に、同一設計の韓国鉄道庁(現・KORAIL)1000系と共に投入された形式です。共通設計のため外観・内装・走行機器ともにほぼ同一となっています。

しかしそれ以後は袂を分かち合って発展が続いたため、さながらJR東日本とJR西日本の103系のように、現在では様々な相違点が発生しています。

1号線用の形式ですが、2号線開業後しばらくは専用形式の2000系が登場するまで2号線でも使用されていました。

初期型(初抵抗)

6両編成10本が日本で新製・輸出されました。日立製作所での製造となっています。それ以後は韓国の国内生産となり、大宇重工業で6連6本の製造が行われました。

経年に伴い2002年までに全車が退役していますが、トップナンバーの6連1本が車庫で静態保存(将来の博物館行きのため)されています。

後期型

10両化のため1989年から新造された中間車を後期型と称します。KORAIL1000系の初抵抗の中間増備車最終グループと同様、窓サイズなどが一部変更になっているようです。

現在残っている車輌はすべてこのロット以降の車輌となっており、中間車しか存在しないことから両端にはT車を先頭改造して充当しています。この先頭改造はKORAIL車とは異なり、ソウルメトロ新1000系および4000系をベースとした形状(西武鉄道6000系に類似)となっています。

99年新製車・事故代替新製車

1999年に上記の後期製造中間車から10両編成を組成し直した際、動力車が2ユニット4両不足となりました。このとき従来車の改造や韓国鉄道からの購入・廃車からの流用などは行われず、抵抗制御車として部品も含めた完全新製が行われています。

また2002年に水原駅で列車衝突事故が発生し、先頭車が破損したため韓国鉄道側の賠償により代替新造が1両(2年後の2004年に)行われました。この際に韓国鉄道側は自社1000系の提供を申し出たものの断られたとのことです。こちらは再用可能な部品を事故車から転用しているようです。

これらの車輌は雨樋形状などはそのままですが、

などの設計変更が行われ、全部で5両のみの異端車となっています。この5両はすべて同一編成(1x11F)に組み込まれており、ソウルメトロ1000系抵抗車唯一の大窓ドア車のため遠目でも目立っていますが、なかなかお目にかかれない貴重な編成です。

改造など

KORAIL車とは異なり、補助電源のSIV化が行われずMGのまま、また空気圧縮機もピストン式のまま残存しています。交直流関連機器は新世代形に更新されているようです。

側面に方向幕が増設されています。

室内では難燃化改造が行われていますが、金属製座席の採用など、KORAIL車とは改造メニューが大きく異なっています。

また冷房装置を1両あたり3器しか搭載していない車輌(大半が該当)では、強力タイプへの換装が2器のみ行われています。

写真紹介

1999年・2004年新製車の写真はまだ撮影できていません。


▲現在は後期型・先頭改造車編成のみが残っています。


▲冷房機が2機のみ出力増強型に交換されているのが見て取れます。

奥付

更新履歴

製作・著作

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